木曽義仲
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木曽義仲

  

平安時代の終わり、貴族社会から武家社会への変革期に活躍した武将・木曽義仲は、嵐山町に生まれたといわれています。



義仲の生まれ故郷・嵐山町



義仲の父・源義賢は嵐山町の大蔵に館を構え、皇太子の警護役である帯刀(たてわき)の長官だったことから帯刀先生とも呼ばれていました。



義仲誕生の際に産湯にしたと伝えられる清水(鎌形八幡神社境内) ■産湯の清水
義仲が生まれたのはこの大蔵館にほど近い鎌形であると伝えられています。源氏の氏神としてまつられている鎌形八幡神社の境内には、義仲誕生の際に産湯にしたと伝えられる清水があり、現在でも豊富な量の湧水があふれています。



駒王丸(こまおうまる)と大蔵の戦い



義仲の父・源義賢が住んでいた大蔵館跡 義仲は、幼い頃は「駒王丸」と呼ばれていました。駒王丸が2歳のとき、「大蔵の戦い」がおこりました。義賢の兄義朝の長男・悪源太義平(あくげんたよしひら)は1155(久寿2)年、この地に勢力を伸ばすために大蔵館へ攻めいりました。この戦いで義賢やその一族のほとんどが討ち死にし、幼い駒王丸もあやうく殺されてしまうところでした。しかし、義平の家来であった畠山重能(はたけやましげよし)と斎藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)のはからいにより駒王丸と母・小枝御前(さえごぜん)は助けられます。実盛は信濃国(現在の長野県)木曽の中原兼遠に駒王丸の養育を頼み、駒王丸は自らの姓となる木曽の地へと向うことになったのです。



源義賢の伝承



源義賢の墓と伝えられる五輪塔 大蔵館に住んでいたとされる義賢(よしかた)。大蔵館跡の近くには「源義賢の墓」(県指定史跡)と伝えられる五輪塔があります。また、お隣のときがわ町にある萩日吉神社では3年に一度、流鏑馬(やぶさめ)が行われますが、この流鏑馬は義賢の遺臣といわれる家々が代々執り行っています。流鏑馬は、大正期までは鎌形八幡神社でも行われていましたが、昭和に入ってからは競馬に変更となりました。この競馬は萩日吉神社に流鏑馬を奉納する七氏によって執り行われていました。現在では残念ながら行われていません。



班渓寺(はんけいじ)と山吹姫



木曽義仲の愛妻・山吹姫のものと伝えられる墓(班渓寺境内) 嵐山町鎌形のはずれに班渓寺があります。木曽義仲の愛妻・山吹姫の菩提寺であるとか、山吹姫が義仲の供養のために開いた寺であるともいわれています。境内には山吹姫の墓と伝えられる供養塔があり、毎年3月には義仲を偲んで慰霊祭が行われています。








さらに詳しい情報は、PDFファイル(2.86MB)もしくは「嵐山町web博物誌」(外部サイト)をご参照ください。



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