嵐山渓谷

らんざん紅葉だより2019 今年はお休みします ご了承ください

kouyouattention.jpg

嵐山渓谷バーベキュー場から遊歩道、飛び石が渡れないため、嵐山渓谷へ行くことはできません。

また、嵐山渓谷内は一部歩きづらい場所がございます。お気を付けください。

2019年 嵐山渓谷紅葉まつり ならびに 紅葉まつりイベント「ウオーク&グルメ」中止のお知らせ

台風19号の影響により、河川増水、イベント会場の嵐山渓谷バーベキュー場施設内、ハイキングイベント通行路などの被害ならびに安全面を考慮し、2019年の嵐山渓谷紅葉まつり、紅葉まつりイベント「ウオーク&グルメ」を中止いたします。ご参加を楽しみにしてくださっていたお客様、準備してくださいました出店者様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。

嵐山渓谷の概要

埼玉県を代表する景勝地のひとつ、「嵐山渓谷」は、岩畳と槻川の清流・周囲の木々が織り成すみごとな景観と自然環境を持った、嵐山町の宝です。

槻川は、外秩父山地の堂平山に端を発し、東秩父の山間を抜け、小川町を経て嵐山町の遠山地区に流れ込みます。ここで岩場によって流路を狭められ、都幾川と合流する二瀬の手前までがみごとな渓流となっています。特に大平山から伸びた細原と呼ばれるところでは、流路が大きく180度転じて半島状の独特な地形をつくりだしています。

嵐山渓谷の歴史

嵐山渓谷はその地形的な特徴から、秩父の長瀞岩畳に例えて“新長瀞”と呼ばれていたこともあるようですが、昭和3年(1928)秋、日本で初めての林学博士・本多静六博士が当地を訪れ、渓谷の最下流部にある槻川橋より渓谷と周辺の紅葉や赤松林の美しい景観を眺め、京都の嵐山の風景によく似ているとのことで、“武蔵国の嵐山(むさしのくにのあらしやま)”と命名されたということです。それが大変評判になり、多数の観光客が訪れます。

このころ渓谷周辺には料理旅館の「松月楼」がオープンし、埼玉を代表する景勝地をひとめ見ようと、多くの人々が訪れるようになりました。東武東上線の菅谷駅も昭和10年(1935)には「武蔵嵐山駅」に改名され、駅から観光客の長い列ができたほどです。

 

そんななか、昭和14年(1939)6月に当地をひとりの女性歌人が訪れます。現代短歌の道を開いた代表歌人「与謝野晶子」です。彼女は娘の藤子さんと共に訪れ、渓谷の自然などをテーマに「比企の渓」29首を歌いあげました。 

歌碑:「比企の渓 槻の川 赤柄の傘を さす松の 立ち竝(なら)びたる 山の しののめ」 
(しののめ=夜明けの薄明かり)

大変賑わった「武蔵嵐山」でしたが、戦後は松月楼も本格的に営業されず、経営者が変わって「一平荘」と改名され神楽坂の割烹の嵐山町支店として営業しましたが、ついに閉店してしまいます。しかし、時代と共に景勝地を訪れる人々はまた増えてきました。その一帯は、さいたま緑のトラスト基金と嵐山町で買収し、緑のトラスト保全第3号地として整備、管理をしています。休日ともなれば、槻川橋下の「嵐山渓谷バーベキュー場」にはたくさんの人が訪れます。駐車場にひしめく車の姿は、かつて菅谷駅から続いていた人々の行列を連想させます。

写真:与謝野晶子歌碑に向かう途中の散策路。嵐山渓谷の周辺は遊歩道が整備されているので安心して散策ができます。

写真:与謝野晶子歌碑近くのすすきが原。秋になると日差しを受けて黄金色に輝きます。ここにはかつて「一平荘」がありました。往時の様子が偲ばれます。

一般社団法人 嵐山町観光協会

〒355-0221 埼玉県比企郡嵐山町大字菅谷100-4 嵐山町ステーションプラザ嵐なび(武蔵嵐山駅西口)