比企城館跡群 菅谷館跡(国指定史跡)

菅谷館は、平成29年3月、杉山城とともに公益財団法人日本城郭協会により続日本100名城に選定されました。

埼玉県立嵐山史跡の博物館では埼玉県の中世(平安時代末から戦国時代)について学習できます。

​埼玉県立嵐山史跡の博物館

開館時間: 午前9時分~午後4時30分(入館は午後4時まで)

​※7月・8月は午後5時まで開館(入館は午後4時30分まで)

休館日:月曜日(ただし、祝日・5月1日・2日・県民の日(11月14日)は開館

  年末年始(12月29日~1月3日)

  このほか、展示替えなどの理由により臨時休館することがあります

観覧料:一般100円/高校生・学生50円

    団体(20名以上)一般60円/高校生・学生30円

    (中学生以下の方、障がい者手帳をお持ちの方<付添1名まで>は無料)

    年間観覧券もございます。詳しくは埼玉県立嵐山史跡の博物館へお問い合わせください。

埼玉県立嵐山史跡の博物館:0493-62-5896

​畠山重忠の「菅谷館跡」はどこにある?~嵐山町観光ボランティアガイド~

 嵐山町の歴史上の有名人はだれ?と問われれば「畠山重忠」がすぐに思い浮かびます。重忠は鎌倉幕府の有力な御家人で源平の時代のヒーローです。その重忠が住んでいたところが「菅谷館」です。

 菅谷館は現在の嵐山町立菅谷小・中学校の南、国道254号に接した広大な緑の森として町民に親しまれています。城内には重忠の像も建っています(昭和4年・1929年建立)。しかし、今見ることのできる城は重忠の時代(約800年前)の館ではありません。約13万㎡の広大な面積の城は戦国時代(約500年前)の城です。重忠の館はどこにあったのでしょうか。残念ながら今も不明です。吾妻鏡(鎌倉時代の公的記録)には重忠は「小衾郡菅屋館」に住んでいたと記されていることや、地元に残る多くの伝承や遺跡などから、重忠の菅谷館は現在の城跡かその近辺にあった可能性は大です。皆さんも想像を巡らせてください。

 国道から城内に入ると、そこには埼玉県立嵐山史跡の博物館があります。ここで町の中世(重忠の時代から戦国時代)を学び、緑豊かな城内を散策していると、やがて目の前に「畠山重忠の館」が現れて・・・

(広報嵐山 令和元年9月号より)

杉山城跡(国指定史跡)

 市野川を挟んで「鎌倉街道」を見下ろす山の頂に杉山城跡はあります。

 戦国時代の山城で、約14万平方メートルという狭い範囲の中で、高低差を利用しながらおよそ10の郭を配置した縄張りです。本郭を中心に3方向へ郭を広げていきますが、塁線には折歪(おりひずみ)とよばれる敵方に対して見通しを悪くするための屈曲を多用し、虎口(郭の出入口)にはほぼ例外なく進入方向の側面から矢を射掛ける横矢が仕掛けられる等の防御施設が各所に見られます。

 こうした高度な築城技術が高く評価され、「築城の教科書」「戦国期城郭の最高傑作のひとつ」といわれています。

 その一方で、城主や築城年代については不明な点が多かった城跡でもあります。しかし、平成14年からの発掘調査によって戦国時代の中頃、関東管領山内上杉氏と同族の扇谷上杉氏による関東一帯を巻き込んだ抗争の時期に築城された城で、短期間で廃城となったことがわかってきました。また、文献史学からは古河公方の『足利高基書状写』により、1520年頃の「杉山の陣」の時代の城とされています。

 平成20年には比企城館跡群として国指定史跡に指定され、研究者やお城好き、歴史ファンの方々が県外からも訪れる隠れた観光スポットとなっています。

 

 

「続日本100名城」 平成29年4月6日選定

​(文章と画像:嵐山町役場公式サイトより引用)

杉山城跡公式サイト(別ウインドウで開く)

一般社団法人 嵐山町観光協会

〒355-0221 埼玉県比企郡嵐山町大字菅谷100-4 嵐山町ステーションプラザ嵐なび(武蔵嵐山駅西口)